プロフィール

上里ただし

  • 1973年2月生まれ(復帰っ子)
  • 首里在住
  • 妻と小学生の息子の3人家族
  • 好きな木はがじゅまる
  • 好物はカレーライス、カツカレー、ゆし豆腐
  • 開邦雄飛会会長、首里三ヶ城南校区まちづくり協議会事務局長
  • 趣味: ジョギング 

毎朝首里城周辺をジョギングしています。出張先や旅先でのジョギングが大好きです。
フルマラソンはきついものの完走すると充実感に浸れます。

経歴

  • 昭和48年2月27日生まれ
  • 昭和60年3月沖縄市立中の町小学校卒
  • 昭和63年3月沖縄市立コザ中学校卒
  • 平成3年3月沖縄県立開邦高等学校卒
  • 平成7年3月明治大学政経学部政治学科卒
  • 平成7年4月株式会社琉球銀行入行
  • 平成10年12月政治の道を志すため退職
  • 平成11年1月大学時代の先輩の選挙を手伝った後、国会議員の秘書となる
  • 平成14年4月財団法人松下政経塾23期生として入塾
  • 平成16年11月那覇市議会議員補欠選挙で当選
  • 平成17年7月再選
  • 平成20年6月沖縄県議会議員選挙で当選
  • 平成24年6月落選
  • 平成28年6月落選
  • 平成29年7月那覇市議会議員選挙にて再選

幼少時代

1973年2月生まれ。
4人兄弟の3男として、小さな家電修理、販売業を営む父のもとに生まれました。

直司という名前は父がつけてくれました。小さなころは「上里直司(うえざとただし)」と上手に発音できなくて、自分でも周囲からもずっと「た~し~」と呼ばれています。

幼少期は人前ではほとんど喋れなかったようです。
保育園の年長児のとき、担任の藤原先生の心配りで、かさこ地蔵のお爺さん役に抜擢していただきました。
どうやらそこから人前でも喋れるようになったようです。

今でも、そのときの藤原先生には感謝しています。
その頃から食べるのが大好きで、ぷくぷくと成長していきました。

高校時代

高校は通学区域が全県区の沖縄県立開邦高校に入学しました。
親元から離れ青藍寮で過ごし、多くの先輩、後輩に恵まれました。自分自身では、将来の夢を明かしていなかったつもりですが、友人に聞くと、その頃から政治家になることを明言していたようです。

大学時代

憧れの東京生活でしたが、住んだのは沖縄県出身者の学生寮、南灯寮でした。この場所で生涯を通じて沖縄に貢献したいという気持ちが芽生えました。

大学時代には数々の旅行をしましたが、一番の思い出は友人と共にママチャリで2泊3日で新潟まで行ったことです。


関東平野の広さ、信濃川の美しさを自転車の上から感じました。
その他にもアメリカ一人旅もいい思い出です。

銀行時代

政治家を志すも、まずは地元経済に貢献できる人材になりたいという思いで、琉球銀行に入行、具志川支店にて勤務しました。仕事は個人、中小企業融資を通じて沖縄経済の切実な課題を肌で感じました。
銀行での仕事に充実感を覚え、一生の仕事にしようという気持ちになりましたが、やはり政治家を志すことを決断し、退職しました。

国会議員秘書、松下政経塾

銀行退職後、横浜にて大学時代の先輩の県議選を手伝うも落選。その後、自身も沖縄で県議選を目指すが挫折し、再上京し、国会議員の秘書となりました。2年の勤務の後、松下政経塾23期に入塾しました。同期には三日月大造滋賀県知事など、多彩な顔ぶれな同期、先輩、後輩たちから刺激を受けました。

在塾中は「多文化共生社会の実現」「沖縄振興の今後」をテーマにして研究。とりわけ外国人労働者の研究では、東京下町の工場で不法在留外国人と一緒に働くなどして現地現場の実習に取組みました。

市議補欠選挙挑戦、初当選!

2004年11月の那覇市議会議員補欠選挙に立候補をしました。選挙に遡ること、8月8日、初めての街頭演説を首里りうぼう前で行いました。

のぼりもタスキも何にもなく心細かったのですが、どこかから初街宣を行うことを聞きつけた松下政経塾同期の三日月大造衆議院議員(当時、現滋賀県知事)が駆けつけてくれて、私の背中を押してくれました。とにかく必死で何を訴えたのかは覚えていません。

多くの市民の後押しをいただき当選させていただきました。

本選挙に当選

一期目の任期はわずか9ヶ月間。正念場は7月の本選挙でした。梅雨明け後の灼熱の那覇の街を自転車をこぎながら街宣活動。
熱中症になるくらい活動し、当選させていただきました。

2006年、息子が生まれました!

2006年12月に息子が生まれました。
妻とマタニティ教室に通い、妊婦体験、子どもの沐浴疑似体験などさせていただき、実際、子どものお風呂入れは役立ちました。
那覇市の妊産婦への政策を実体験で学びました。

2008年県議選に初当選

市議会議員の職を辞して、県議会議員選挙に挑戦。一括交付金の導入等を訴え当選させていただきました。この時の公約は後に実現させていただきました。

2012年復帰40年、そして落選

復帰40年の記念式典の折に、総理から首里城を沖縄県へ譲渡することを明言していただく。1期4年の任期中、大学院大学学園法の修正、一括交付金の導入、鉄道設置に向けた調査事業の着手等、様々な実績を上げるものの、落選しました。

2017年もう一度那覇市議へ

捲土重来で2016年、県議選に再挑戦するものの落選しました。一時は政治からの引退をも考えましたが、周囲からもう一度那覇市議となって、那覇の発展に貢献して欲しいとの激励をいただき、市議選に出馬、当選させていただきました。

現在、3期目。議会では総務常任委員会委員長を務めています。

上里ただし(上里直司)那覇市議会議員【那覇市を政令指定都市へ!】