上里ただし

上里ただしのストーリープロフィール

こんにちは。那覇市議会議員のうえざとただし、通称“た〜し〜”です。

「議員って何してるの?」「政治って難しそう…」そんなふうに感じているあなたへ。
この記事では、僕のこれまでの歩みや想い、そしてとくに力を入れてきた“教育”への取り組みを、少し長めに、ストーリー形式でお届けします。


復帰っ子、た〜し〜の原点

1973年2月27日。沖縄が日本に復帰したその年に、那覇で生まれました。

戦後の傷跡が残る街並みと、そこで生きるおじぃ・おばぁの知恵や優しさ。あの空気が、僕の政治観の原点です。

開邦高校で学び、明治大学で政治を学び、夢は「まちづくりの仕事がしたい!」。

まずは現場を知らねばと琉球銀行に就職。住宅ローンや企業融資を通して、暮らしの現実を目の当たりにし、3年で退職。そこから政治の世界に飛び込みます。


◆“なぜ那覇で政治をするのか”

国会議員秘書、松下政経塾での研究。
テーマは「多文化共生」と「沖縄振興」――まさに、沖縄の未来に直結するもの。

政治を“誰かがやるもの”ではなく、“自分たちで変えられるもの”にするため、2004年、那覇市議会へ。

「子どもが生まれてから保育園が足りないって気づいた」
「奨学金を返せずに進学をあきらめた」
「家族が病院に行けない、交通が不便で」

日々寄せられる声は、“現場の叫び”でした。


教育に込めた想い:未来をあきらめない社会へ

教育格差をなくしたい

那覇の子どもたちの貧困率は、全国平均の2倍近いというデータがあります。

「親が働いているから仕方ない」
「塾に行けないから遅れても当然」

そんな“あきらめ”を変えたくて、僕は動きました。

「スタディクーポン」制度を導入。生活保護世帯の小学生に、年間84,000円の学習支援費を支給し、放課後学習や塾などの教育機会を保障しました。

この制度は、学力格差の解消だけでなく、「子どもたちに自信を与えた」と学校の先生たちからも高い評価を受けています。

夢をあきらめない若者たちへ

「看護師になりたい。でも、学費が出せない」

そんな声を受けて、僕は看護師奨学金制度の拡充を提案。

県立看護学校の廃止に代わり、10年間県内病院で働けば返済免除となる制度をつくりました。

これにより、多くの若者が医療の道に進む後押しができ、地域の医療体制の安定にも貢献しています。

多様な学びを守りたい

夜間中学の設置、若年妊産婦の支援、外国ルーツの子どもの学習支援など、多様な背景を持つ子どもたちが学び続けられる環境整備にも尽力。

“すべての子どもが学ぶ権利を持っている”――それが、僕の教育政策の根本理念です。


首里のまちを「歩いて感じる場所」に

2026年、首里城の正殿が復元されます。

観光客が戻ってくるのはうれしいこと。でも、生活道路の渋滞、騒音、ゴミの問題…市民の生活が脅かされては本末転倒です。

僕が提案しているのは、「歩いて楽しむ首里観光」。首里駅から歩いて、地元の石畳、古民家、三線の音色を感じながら首里城へ。

さらに、地元ガイドとのまち歩きや、観光客による地域清掃・体験参加など、「共につくる観光」を推進中。


市民とともに育てる那覇の未来

「子育てにやさしいまちにしたい」
「高齢者が安心して暮らせるまちにしたい」
「若者が挑戦できるまちにしたい」

これらは全部、た〜し〜の政策の柱です。

市民が行政に頼るのではなく、市民と議員が一緒に“まちを育てていく”スタンス。

だから僕は、いつも現場にいます。保育園の前、通学路の点検、公園の整備、地域の清掃活動…目立たないけれど、そこに答えがある。


感情に届く政治を

僕の目指す政治は、「数字や制度の話」だけじゃありません。

たとえば、ある小学生が「将来、先生になりたい」と夢を語ってくれたとき。その子が経済的な理由で夢を諦めなくて済む制度を整える。

ある保護者が「子どもが毎日元気に学校に行けるようになった」と話してくれたとき。それが、何よりの“成果”です。


た〜し〜の3つのキーワード

・現場主義:市民の声を最優先。

・市民協働:一緒にまちをつくる仲間です。

正直さ:良いことも、難しいことも、ちゃんと伝える。


そして、これからも

政治は“遠い存在”じゃなくて、本当は一番“生活の近く”にあるもの。

「議員って何してるの?」と思ってる方、ぜひ僕のSNSを覗いてください。あたりまえの日常を、少しでも暮らしやすくするために走り続けている姿を見てもらえたら嬉しいです。

最後まで読んでくれて、にふぇーでーびる(ありがとう)!

あなたと一緒に、これからの那覇をつくっていける日を楽しみにしています。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: