上里ただし(たーしです)今回は首里城を訪れたことのある方なら、一度はその名前を聞いたことがあるかもしれません。「万国津梁の鐘(ばんこくしんりょうのかね)」。
琉球王国が築いた海洋国家としての誇りを今に伝える、歴史的にも文化的にも大変価値の高い鐘です。
現在この鐘は、沖縄県立博物館・美術館で大切に展示されていますが、その本来の場所だった首里城では、
少し残念な状況が続いています。今回は、この鐘にまつわる背景と、展示の現状についてお話しさせていただきます。
「万国津梁の鐘」とは?

この鐘は、かつて首里城正殿に設置されていた重要文化財です。
その表面には、琉球王国がどのような国であったのかを語る銘文(刻まれた文章)が記されており、それがとても有名です。
銘文にはこうあります。
「琉球国は南海の勝地にして、舟楫の便を得、三韓の秀をつらね、倭漢の渥をかうぶる。…」
一言でいえば、「琉球は海を通して世界とつながる、貿易の架け橋である」と記されたもの。
まさに「万国津梁(世界をつなぐ橋)」という言葉そのものが、琉球王国の姿勢を象徴しています。
この理念は現代の沖縄県政にも通じており、沖縄県庁の知事応接室に飾られている有名な屏風にも、
この銘文が大きく書かれています。テレビなどで一度は見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。
県立博物館での「鐘」の展示は圧巻!
現在、「万国津梁の鐘」は本物が沖縄県立博物館に展示されています。この展示がとても素晴らしいのです。
まず、来館者に鐘の魅力をしっかり伝える工夫が施されています。
- 鐘の周囲には丁寧な解説パネルが配置されており、銘文の意味や背景も詳しく学べる
- 鐘の音を再生する仕掛けもあり、静かな空間でその音を聴くと、まるで琉球の昔にタイムスリップしたような気分に
- 鐘の内部を覗ける特別な展示もあり、構造の美しさや重厚さが間近で感じられる
パンフレットもよく整備されており、学びとしても非常に優れた展示となっています。県立博物館がこの鐘に対してどれほどの愛情を注いでいるのかが、ひしひしと伝わってくる空間です。

一方で、首里城では…
しかし一方、もともとの設置場所である首里城では、この鐘の扱いに少し寂しさを感じてしまいます。
現在、首里城にはレプリカの鐘が設置されていますが、
- 鐘の近くまで寄れない
- 銘文の詳細な解説がほとんどない
- 鐘の存在に気づかず通り過ぎてしまう人も多い
といった状況です。
実際に訪れた日、首里城にはたくさんの観光客が訪れていましたが、鐘の展示の周りにはほとんど人がいませんでした。
首里城の他の見どころに比べて、まるでその存在が霞んでいるかのようでした。
「海の架け橋」の心を、もう一度首里城に
誰がこの展示を改善すべきか──設置者である国なのか、管理する沖縄県なのか、その線引きは分かりません。
ですが、ひとつだけはっきり言えるのは、琉球王国の誇りである「万国津梁の鐘」は、もっと人の目に触れるべき存在だということです。
もちろん、県立博物館のように専門的で高度な展示を求めるわけではありません。しかし例えば:
- 鐘の近くまで寄って見られるようにする
- 銘文の全文と、その現代語訳をパネルでしっかり表示する
- QRコードなどを使って、スマホで音声解説や鐘の音を聞けるようにする
といった小さな工夫だけでも、この鐘が放つ歴史的・文化的な魅力を、もっと多くの人に届けることができるのではないでしょうか。
まとめ:文化財は、「語りかけて」こそ価値がある
「万国津梁の鐘」は、ただの鐘ではありません。琉球がどんな国で、どんな思いで世界とつながっていたのかを語る、
海の王国・琉球の魂とも言える存在です。
観光地としても人気のある首里城だからこそ、この鐘の持つストーリーを伝える工夫がもっと求められています。
沖縄を訪れる観光客や、県民の子どもたちがこの鐘の前で立ち止まり、「へえ!琉球ってそんな国だったんだ!」と感じられるような展示へ。そうなれば、「万国津梁の鐘」は、再びこの島の未来をつなぐ「架け橋」になるのではないでしょうか。
あなたも次に首里城を訪れる際は、ぜひこの鐘にもう一度目を向けてみてください。
そして、そこに刻まれた想いに、ぜひ耳を傾けてみてくださいね。