那覇市議会議員の上里ただし(たーしー)です。
2025年6月定例会では、「名誉市民」の顕彰に関する一般質問を行いました。
那覇市の文化と芸術、そして文化財行政に生涯をかけて貢献された故・豊平良顕(とよひら よしあき)氏を、
名誉市民として追贈することを正式に提案しました。
この記事では、質疑の内容と背景、市の見解、そしてこの提案が持つ意義を市民の皆さまと共有したいと思います。
名誉市民とは何か
まず、名誉市民制度について簡単にご説明します。
那覇市における名誉市民とは、政治・経済・文化などの各分野で著しい功績をあげ、
市民に敬愛される人物を称える制度です。市民にとって「まちの誇り」となる人物を公的に顕彰することで、
その功績を広く共有し、次の世代へと伝えていく意義があります。
名誉市民の称号は、多くの場合、市民の強い支持や関係者の推薦によって動き出し、
議会や市によって最終的に決定されます。
豊平良顕氏とはどんな人物か
今回私が名誉市民追贈を提案した故・豊平良顕氏は、那覇市出身であり、
沖縄の文化財行政の礎を築いた重要な人物です。具体的には、
- 戦後混乱の中で散逸した文化財を地道に収集・保護
- 首里市立郷土博物館(現在の那覇市歴史博物館の前身)の開設に尽力
- 沖縄県内で最大規模を誇る総合美術展「沖展」の立ち上げに関与
といった多くの業績を遺しています。
これらの活動は、ただ文化を守るだけでなく、沖縄に暮らす私たちの「記憶」と「誇り」を
未来へ伝えるための重要な基盤となりました。
市の見解は「今後の推移を見守る」
私の質問に対して、大城総務部長からは次のような答弁がありました。
豊平氏の功績については十分に承知しており、その評価に異論はない。
ただし、名誉市民は広く市民に敬愛される人物であり、市民の声や世論の高まりを踏まえて顕彰すべきものである。
そのため、今後の世論や状況の推移を見守りつつ、市としてどのような対応ができるか調査研究していきたい。
つまり、市としても豊平氏の重要性は認識しているものの、「名誉市民」として追贈するには市民の広い支持が不可欠である、というスタンスです。
故・鎌倉芳太郎氏の顕彰に続いて
今回の質問を行うにあたっては、先に名誉市民の称号が追贈された故・鎌倉芳太郎氏のケースも
大きなきっかけになりました。
鎌倉氏は「首里城を三度救った男」と称され、首里城だけでなく周辺の文化財保護にも大きな足跡を残しました。
その貢献がようやく市によって評価され、名誉市民に追贈されたのです。
この流れを受けて、「豊平良顕氏も顕彰に値する」との思いから、今回の提案に至りました。
名誉市民の顕彰は未来への贈り物
名誉市民制度は、単なる「表彰」ではありません。それは、私たち市民が何を大切にし、
どんなまちづくりをしてきたか、という“価値観の継承”なのです。
文化を守るという行為は、地味で見えづらく、評価されにくいものです。
しかしその積み重ねがあって、いまの那覇の文化的な土台があります。豊平氏のような人物の貢献を
正しく伝えることで、次の世代に「文化を支えることの大切さ」を知ってもらう機会になると信じています。
市民の声が鍵となる
市の答弁にもあった通り、名誉市民の顕彰は「市民の声」によって動き出します。
つまり、豊平氏の功績に共感する方が増え、声が集まっていくことで、正式な顕彰の道が開けていくのです。
このブログを読んでくださった皆さんにも、ぜひ、
- 豊平良顕氏のことを知っていただき
- ご家族や地域の方と話していただき
- 可能であれば意見として届けていただきたい
と願っています。
今後の展望と市議としての役割
私自身は、これからも故・豊平良顕氏の名誉市民追贈について継続して取り上げ、
市民とともにその実現を目指してまいります。
また、こうした名誉市民制度の意義や過去の顕彰内容について、市の広報や学校教育の場でも
しっかりと伝えていけるよう働きかけていきます。
結びに——那覇の文化は“人”でできている
文化は建物や作品だけではなく、それを守り、広げ、つないできた“人”によって育まれます。
その「人」を称えるという行為は、まちの誇りをつくることでもあり、未来の子どもたちへのメッセージでもあります。
豊平良顕氏の顕彰に向け、これからも皆さまとともに歩んでいきたいと思います。
この内容は市民目線から考えるラジオでも配信しています。
ぜひラジオも合わせてご視聴ください。
たーしーなにしてるばぁ~ポッドキャスト(上里ただし)
那覇市議会議員 上里ただし